1944年 7月 2日から7月4日
A26が、FAA未公認世界記録達成を達成。
PLANET 72 A26


旧東京帝国大学航空機研究所の故木村秀政氏の記事などを見るにつけ
航研機と並んで 必ず目を引く A26 その生い立ちは航研機とは異なり
まず、 正、副パイロット、機関士、航法士の他に若干の同乗者を乗せ 
太平洋を渡り ニューヨークまで直接飛んでいく計画から始まっています。

皇紀2600年を祝ってこの計画が朝日新聞社の航空部でたちあがり
朝日の「A」と皇紀2600年の「26」をとって 「A26」と名付けられた

しかし
この計画を 航研に持ち込むと 思いのほか 技術的に また高度の
製造技術や研究が必要とされ 朝日だけでの開発は不可能になった。

そこで陸軍とタイアップする事により それを可能にする事が出来た。

勝手に想像するに

当事、海軍は飛行艇による長距離偵察をいろいろと計画されていた、
陸軍も戦略的偵察の世界で遅れをとるわけには行かず この提案を
陸軍の戦略的偵察機の基礎研究と位置付けて 取り組む事になった
同時に 立川飛行機の航空機製造能力向上させ特殊機の製造にあ
たらせる 思惑も在ったのではないかと思う。


途中何度か中断するも 昭和17年 陸軍Ki77として2機製作された。

2号機は昭和18年戦雲悪化する中ドイツへの連絡飛行(セ号飛行)に
ところが ソ連への刺激を嫌った軍部は南回りで計画 丸腰のこの機が
イギリス軍が展開しているインド界隈を 危険を冒して飛ぶ事に・・・・・

結果は、
優秀な朝日新聞航空部の5人と陸軍軍人3人が帰らぬ人となった。

再度挑戦を 1号機で実施も検討されたようですが 戦況が変わり却下

さて そうなると 航続距離15000kmの 性能を実証するべく。
大陸の安定した気候の中 当事の満州 新京ーハルピンー白城子
の三角コース865kmで 昭和19年7月2日から行われました。

3日間に渡り19週を57時間12分で飛行 
飛行距離 16,435km

戦時下にありFAAへの公認記録にはならなかったが、本格的な
長距離機への手応えはあったと思う。もっとも、陸軍は記録よりも
それで得られた試験結果の方が重要だった様です。

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さて キットですが この歳になって初めての経験?
PLANET社72のレジンキット

瞬間接着剤 と エポキシ系接着剤で作るそうなので
下北沢のサニーで同時に購入 しかし何ですね 面付け
は絶対に強度が得られそうもなかったので

主翼と水平尾翼は M1.5のねじで内側から固定
充分にすり合わせして固定すると 思った以上に
強度が出たようです その後接着剤を流し込み
緩み止めしておきます。


プロペラは ピッチが逆・・・東欧のメーカーだから?
右がキットのまま左は修正した物・・・肉厚なので 
ブレードを根元で切断、表裏を逆に削り直してピンを
立てて接着しました。

・・・・レジン物は・・・難しい!(><)”


まっ それにしても 完成すると なんと美しい
飛行機なんでしょう!長い翼 スマートな胴体
Ki77 と 言うより やはり A26と言うべきか。






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2007年11月25日改定
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