好きな飛行機シリーズ
富士 FA200
(EIDAI 1/72)


おなじみ 富士重工が戦後本格的軽飛行機として生み出された
FA200 エアロスバル



1965年(昭和40年)8月12日に1号機が初めて空を飛び
以来300機近くが生産され
日本はもとより オーストラリアをはじめとして欧米へ輸出されている

既に生産は終了していますが まだまだ世界の空で飛んでいる・・・



模型の世界では ニチモ1/20をはじめ1/36 1/48と素晴らしいキットがそんざいします。

我が趣味に於けます 1/72では エイダイさんから発売され 現在はALRIさんから・・・

このキットはベースキットとして 後は製作者次第 という モノ創りを伴うもの・・・か?
箱の絵も エイダイさんはキットに近い前期型で ARIIさんのは後期型
出来るもんなら 作ってみろ! と 書いてあるような気がしてならない・・(**)”


で 私メも 無謀にも挑戦

一番 気になるキャノピー
形的には試作機なのでしょう けれど、どうにも高さ不足
クリアー部分を おもいっきり諦めてソリッドにすることに
クリアーパーツを接着して 不足分1ミリを目安の為に
中心にプラ板を貼りました。
2番目に気になるエンジンカウリングは 写真を見ながら
オイルクーラー入口の追加
プロペラ軸を穴一つ上に開け直し
エンジン冷却空気入口も写真を参考に・・・


で キャノピーはタミヤのパテを盛りつけ
側面写真を参考に(エイダイさんの箱は使える)
72サイズにコピー機で引き伸ばして型板を作り
それに合うように削り込んでみました。
スライド風貌後方のステップは1in無いので
気持ち段差を付けました。

あとは 塗装

まるで ラジコン飛行機の様!(^^;;;;;

そうそう 水平尾翼はこの飛行機の特徴でもあります
逆様の上面平の断面形に成る様 やっとこ?で曲げます。



で、
作例
Topの写真が なぜBf109と一緒に写っているか・・・
そう この D−EGEV というレジスターを持つFA200は
当時 西ドイツに輸出された

ドイツの飛行クラブに購入して頂いた S/N204のこの飛行機

当時 ドイツ空軍を勇退され そのクラブに所属し FAA等のしごとをされていた
WW2で最も撃墜数の多いエースパイロット
エーリッヒ・ハルトマン氏
Erich Alfred "Bubi" Hartmann
により
 『Fuji
(フジ)と命名されました。
(ハルトマン氏の経歴はWikipediaなどをご覧ください)


戦後のソ連抑留され 当時の西ドイツ首相が訪ソした際に
「全てのドイツ人抑留者を解放」を得 ハルトマン氏も10年以上に及ぶ
ソ連の収容所での抑圧に耐えて帰国を果たします。
この間に生まれた自分の子供に 一度も会えずに他界されてしまう・・。

帰国後 しばらくして新生ドイツ空軍に 再び操縦かんを握ります。


1970年に軍を退役後 ドイツのFAAと 民間飛行学校(飛行クラブ?)に所属



でそこに配備?されたのが この FA200(D−EGEV)でした。
既に『命名式』を行っている団体は少なく その様な中での名誉ある命名
やはり 誇りに思います。

この命名式で ハルトマン氏自ら操縦されたとのこと
どんな感想をもってくれたのでしょう・・・

2013年 現在でも現役の D−EGEV つまり それが答えかもしれませんね!





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