Tupolev ANT−25
TUP72(どうもツポレフ設計局が関与しているらしい)
Tupolev 1/72 ANT-25
1933年6月22日に 生まれた長距離機
AMT-25とロシア語では 書くそうです。
ANTって書くと アントノフと勘違いされますが Andrey
N. Tupolev
つまりフルネームのー25なのですね・・・・(下記 資料3参照)
この飛行機を 主に設計したのが 後に独立する スホーイ氏その人
細い胴体に アスペクト比の大きな34mのつばさ 乗員は3人
この大きな翼は ユンカースJu52の様に波板外板構造になっていて
その上に空気抵抗を減らすべく羽布が貼られツルツルに仕上げられています。
1934年 9月10-12日にかけて クローズドルートで M.グロモフ等が
周回飛行で記録つくりに挑戦・・・記録としては公認されなかったのかな・・・
(10-12 September 1934 M.Grornov, A.Filin,
and I.Spirin set a world
record for
flying duration and range by a closed route
-12,411 km in 75 h 02 min.)
この時点でアメリカへのノンストップ計画がセットされました。
そして、1936年に 2度に渡って行われた モスクワーアメリカ西海岸への航路開拓
(正確には試験的にTB−1改造の長距離機でカナダへの飛行を行っている様です)
box artより
まず、6月12−14日にかけて チカロフ氏、Baidukov氏およびBeliakov氏の3人が
モスクワから北極点を通りアラスカから太平洋南下 カナダのバンクバーまで
8.500km
無給油無着陸飛行に成功
次にその年7月ー15日にかけて グロモフ氏,マヨチェフ氏,ダニーリン氏の3人が
11,500 kmを 62時間 17分
無給油無着陸で飛んでしまった。
(a crow-fliqht distanse of 10,148 km)
チカロフが使った実機はV.P.
Chkalov's museum (in Nizhni Novgorod)に展示されている様です。
また、チカロフ機のレプリカとされるものが モスクワのモニノ空軍博物館で見ることが出来るそうです。
ところで、このキット あのツポレフ設計局が監修しているとか・・・すごいですね!
ただ
バリも多く隙間も多く 主翼に至っては、まるでバキュームフォームキット。
型のずれや ゴミが紛れ込んでいるキャノピー・・・おおらかな造りをしています・・
が、
♪せ かいに ひ〜とつ だ〜けの・・・♪キットとして 非常に価値がある と 思います。
資料1 資料2 資料3 資料4 資料5
胴体の中身は空っぽでしたので 上記資料を参照に それっぽく作ってはみましたがぁ
見えません (ToT)
操縦席は 機長席が一番前 航法士が中央 その後ろに副操縦士。 航法士席頭上には
大きなループアンテナとその前に天測窓・・・ノース・ポール(北極点)を通過するために必要。
胴体全長は 航研機とそれ程 大きな違いは無いのですが 主翼はめちゃ長いです。
鳥養鶴雄氏 著書の 「大空への挑戦」を読めば この飛行機の特徴がチラッと紹介されてます。
・・・いえ、それを読んで造りたくなったのですがぁ・・・(^^;;;
作例は サン・ジャシントまで11000km飛んだグロモフ機です。
主脚収納部から波板外板が見えます。(キットのままです)
尾輪は固定 しかも半カバー 主脚はダブルタイヤ 後方引き込み式
いくら厚い主翼でも この径を収める事は不可能ですが大きなフェアリング
を その後ろに付ける事により 飛行中の抵抗を減らそうと したのでしょうか
大きなエンジン でも 何処と無く 当時のツポレフ爆撃機より洗練された
スタイルが 好感をもてます・・・主翼の羽布張りを見たアメリカのメディアは
その内側に秘めた金属構造までは見透かせず見下してしまった様ですが・・
ノースポールを超えて 無着陸で飛んで来た赤い翼は
当時としては紛れもなく凄い存在だったに違い無いのです。
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2007年11月25日改定