1918年 6月10日
PKZ−2
RODEN 1/72 PKZ-2

模型屋でこのキットに出会うまで 回転翼にはあまり興味が無かった。
箱には First rial helicopter in the world ・・・・と 書いてありました。

回転翼の歴史もまた 古く レオナルド・ダ・ビンチへと遡ってしまいますが、
実際に飛行を・・・と 言いますと1906年辺りから デザイン実証の為の
回転翼機構を発案して歴史上に生まれては消えるを繰り返すのであります。

高い強度部材 高性能エンジンが登場するまで 実用機として登場は無かった。

いえいえ いろいろな基礎勉強の時代だったのでしょう。

この機体も例外ではなく 暗中模索のパイオニア時代のものであります。

この機体は ご覧の様に 一番上がオブザーバー・バスケットと言って
偵察員が 視界が一番利く篭の中に入ります・・・AH−64Dのレーダーですね
その下で 6mの二重反転ローター(其々が反対方向に回転するローター)があり 
さらに その下には120度間隔で ル・ローン120hp ロータリーエンジンが3基
 中央のシャフト部のギアボックスに 回転を伝え上部のローターを回します。
(2重反転の機構は判りません・・・(汗))

モデルの解説書に依りますと
初期の計画では 300hpのアストロ・ダイムラーモーターを使う・・・が、
重過ぎた様です。 で 次に100hp グノーム・ロータリー・エンジンが採用
これによって運搬も簡単になった・・・さらに パワーアップ ル・ローンエンジンに・・


1918年6月10日 2回の飛行を軍のオフィーサーの前ではじめて披露されました
それまでには 30回以上の試験飛行が繰り返されているそうです。
ただ、 篭の中には 人が乗っていない状態だったそうな・・・。


実はこの機体 ヘリコプターとは云うものの 殆ど自由飛行が出来ません。
と 言いますのも コントロール機能が付加されていない・・・?


3方向に伸びた ブームの先端にはワイヤーが付いていて 気球よろしく
緩めると上がり、引くと降りてくる仕掛けです。
この装置で 約50mの高度も記録されてます。

残念ながら 試験中にクラシュしてしまい 観測員に対する危険性が高いとされ
計画はキャンセルされてしまいました。


例えば 大砲を撃っても どの辺りに着弾したか判らなければ意味が無い。
この当時は 気球を上げたり なかなか飛んで来てくれない飛行機に観てもらったり
危険を冒して 敵前に・・・と 着弾観測は洋の東西を問わず苦労していたそうです。
(現在とて大きな変わりは無く ただ 航空機による攻撃精度の向上や 無人機
の発展により その手段が変わりつつあるだけのこと。)


砲兵隊の目として 気球がもてはやされたのは 第一次大戦前半まで
これとて 水素ガスをはじめとする 気体製造装置とか 何やらで 結構な環境が必要
更に いきなり現れてくる 敵戦闘機?にいい標的なってしまいます。
気球はすぐに降下出来ないのか 偵察員はパラシュートで・・・・

そこで 考案されてのが この機体・・・結果的には実用化されませんでしたが
二重反転ローターといい とにかく後のヘリコプター発展の為に影響を与えたと思います。


PKZとは 関った人の名前で 
Stefan von Petrochi,  Theodore von Karman,  Wilhelm Tzurovtz.

この中のセオドール・ボン・カマン氏は 後に米国に移り 
NASAの前身「ジェット推進研究所」を作ったその人なのです。

NOVAのH。Pより Theodore von Karman
Dr. von Karman was one of the world's foremost aerodynamicsts and scientists and is widely recognized as the father of modern aerospace science.(抜粋)

資料1 ?E?T? PILOTI ZA VELK? V?LKY 1914-1918 より Petroczy-Karman-Zurovec

資料2 Maksim Starostin.氏H.Pより Petroczy-Karman-Zurovec PKZ 2

模型に付いては・・・・ハァ・・・・
72スケールですと 接着面が無く なかなか・・・
気の短い方は 冶具を作って 瞬間接着剤を使われるといいかも

尚、実機同様ワイヤーを張ると多少強度が上がります。





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2007年11月25日改定
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