1925年 7月 25日から10月27日

Breguet 19A2改が、訪露を経て訪欧を達成。
airmodel 72 BREGUET 19


大正14年 朝日新聞が2機のBreguet19A『初風』『東風』で訪欧を

モノの本によれば どちらかというと「訪欧までできちゃったらいいなぁ」
と云うスタートだった様です 現在でもシベリア上空を通過してヨーロッパ
が 最短のコースである事は 皆さんご存知のこと
この時も最短コースも在ったでしょうし政治的に やっとこさ国交回復
に伴う『親善』も在ったことでしょう・・・そしてこの計画がソビエットより
許可が出た・・・

当時の国産機は性能的にまだこの様な壮大な飛行は出来なかった
のかも 知れませんし ソビエットとの友好を持つフランス製というのも
許可の出た理由かも知れませんね・・。

全てはモスクワに着いてから訪欧が出来るのかが決まるなんて・・ねぇ
シベリアの何処までも続く大地 心配になってしまう程遠い道程だった
と思いますよ GPSが在る訳じゃなし 非常信号積んでいる訳でも無し
燃料の事 万一の事 天候の事・・・現在ですと10時間で着くのにね

『日露親善飛行』
8月23日 モスクワに到着 実に一ヶ月弱が過ぎています。

大歓迎を受ける中 はたせるかな 駆け引きがあったかどうかは知りませんが

ベルリン パリへの 飛行が許可される!

行く先々で歓迎を受けた様ですね9月18日ベルリン パリは9月28日
もちろん歓迎だけではなく機体の整備にも時間はかかった事でしょう。

初風の安辺パイロットも 片桐、篠原 両機関士もフランスでの滞在
経験の持ち主 そしてエンジンも機体もフランス製・・・大歓迎だしょ!

して 親善訪問飛行は続くのです。

ロンドンでは天候不良による不時着もあったそうですが 無事 旅は
続けられ ブリュッセル リヨン そして10月27日ローマへ!

無論各地で歓迎を受けた事でしょう。

ローマでは国賓級の歓迎をされたとか、
篠原機関士は伊太利亜での仕事経験も持っていらしたから尚更だった・・・かも

それにしても 凄いですね!


して、
4人と2機の飛行機はマルセイユ港から船で日本に帰国。

翌年の正月開けやらぬ 1926年1月6日に神戸に帰国の第一歩を!
ここで 盛大な歓迎を受けたそうです。



初風の安辺操縦士 篠原機関士
東風の河内操縦士 片桐機関士

この内河内氏以外は陸軍の軍人でありますが 河内操縦士も逓信省
からの陸軍委託による操縦訓練を受けた1期生とかで 民間人です。
この4人の中で一番若い25歳(当時)



それにしても 同じBreguet19にもいろいろなタイプが在った様です。
が 何より航続距離の大きいことが このAタイプを含め いろいろな
冒険飛行に使われていたのでは と 想像します。


あっそうそう airmodel72 このキット
私メにとっての 初のバキューム完成させた作品です。
苦節2年・・・殆ど放置状態・・・嗚呼!



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2009年11月23日新規
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